何を望んでいたのかというと
先日、サッカー雑誌を読んでいてある選手が移籍したという記事を目にしました。
お金持ちの人気チームに所属していて契約延長のオファーを受けていたにも関わらず、規模の小さな地方クラブに移籍したのです。
規模の小さなクラブは高い年俸を払うのが難しいので、おそらく年俸は下がったと思います。
どうして高い年俸を蹴ってまで地方クラブに移籍したのかというと、試合に出場してもっと成長したいという思いがあったからだそうです。
お金持ちのチームは選手層が厚いので試合に出場するメンバーに入るのも難しいのです。
ただ、サッカー選手に限らずスポーツ選手は現役でプレーできる期間が限られています。
年齢が高くなればなるほど「引退」の二文字がチラつきます。
引退後にも何らかの形で収入を得ていかなければなりません。
ですので稼げる時に稼いでおいた方がいいと考える選手も多いと思います。
それでも成長したいという強い思いを持てる理由は、本当に心からサッカーが好きなんでしょうね。
私は幼い頃からずっと「お金さえあれば幸せになれるのに」と思っていました。
学生時代はバイトばかりしていましたし、社会人になってからも土日に単発バイトをしていました。
そして手に入れたお金で欲しいものを買うのが楽しいと思っていました。
でも本当は虚しかったんです。
いくら物を買って着飾っても空虚な心は埋められませんでした。
それで遂に物欲もなくなってきて、どうすればいいのだろうと考えていて。
前出のサッカー選手の記事を読んで、好きなことをして成長する感覚を持つことを望んでいたのだと気づいたのです。
現状は心地よい生活を追求することを目標にしていて、試行錯誤しながら色々やっているので徐々に変化できていると思っています。
でも本当に亀の歩みのように一歩ずつしか進んでいなくて、道のりは遠いと感じています。
正しい方向に進めているのか間違っているのかもよく分かりません。
あくまでも自分が正しいと慢心せず、模索しながら前進する感覚を得られるのが理想です。
改めて思うのは自分が何を望んでいるのかを知る作業は本当に難しいです。
一番近くに居るのが自分自身なのに何で分からないんですかね。
近くに居すぎて見えなくなっているのかもしれませんね。
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